一瞬のパラダイス
<広い地球の蟻として>
今、中国雲南省西双版納倭(シーサンバンナタイ)族自治州にいる。タイ族自治州という名のとおり、中国では少数民族のタイ人たちが遥かな昔より水田耕作をして暮らしの糸を紡いできた土地である。山にはいれば、焼畑をつくるハニ族やプーラン族やチノー族の村がある。私はこれら少数民族への旅をし、景洪(チンホン)の空港から昆明(クンミン)へと向かおうとして待合室でこれを書いている。
シーサンパンナには瀾治江(らんそうこう)が山合いの谷を縫って流れている。この川はビルマにはいるとメコン川と名を変え、ラオス、ベトナムを通って南海へとそそぐ。この数日雨が降りつづき、泥色の水があふれて多くの水田をひたした。しかし、人々はあわてる気配もない。
水が引いたら田植えをしようと待ちかまえているのだ。植えれば米はいつでもできる。そして、この洪水が肥沃な土を運んでくるので、肥料をやる必要がないのである。
山の畑も見事なばかりの陸稲(おかぽ)が葉をそろえている。こんな山でも稲ができることを、私ははじめて知った。この畑にも肥料をいれる必要がない。痩せてくれば、草や木が自然に繁るのにまかせればよいのだ。十年もすれば山はすっかり元に戻ってしまう。人々は山の稲のことを神様が育ててくれる米という。
人はその風土にあわせた生の形をつくってきた。それが生物としての人間のエコロジーというものであろう。そのエコロジーを忘れてしまうと、生物としては滅びるしかないのだ。シーサンパンナではそんなことを考えながら旅をした。
雲南省だけで日本よりも広いのであり、外国人の旅が許可されていないところのほうが多い。雲南省で私が足を踏み入れたのは、昆明とシーサンパンナのほんの一部だ。こんなふうに考えだすと、地球はあまりにも広い。私はずいぶんあっちこっちにいったつもりなのだが、地図で見るとほんの点と線である。その土地にとって私は小さな風のように一瞬吹いていったに過ぎない。
旅をすればするほど地球は広くなり深くなり濃くなってくるというのが、私の実感だ。全部の国をこの足の下に踏んでみようというような無意味な思いはないにしろ、未知のことは実感として多少なりとも知りたいという思いは強い。それが旅をつづけようとする原動力なのかもしれない。
私は人間が好きで、自然が好きで、結局地球が大好きなのである。風になって通り過ぎる私は、消え去ろうとする瞬間に向かってカメラのシャッターを切る。そんな光の破片が、私の部屋にはたまりにたまっている。
そのつど何気なくつかんだフィルムに、短文をつける。こうして「パンプキン」の連載はつづけられていった。旅の報告とか記録とか、そんな気負いはない。月に二度まるで呼吸をするようにだしていった。楽しい仕事であった。
今度本にするにあたって、捨てた写真と、新しく加えた写真とがある。地域をひろげたほうがよいと、編集部の賓藤達也氏のアドバイスがあったからだ。改めて組み直してみて、広い地球を蟻のように歩いてきたものだと、我ながら涙ぐましい思いにとらわれる。私が訪れた地域と国とは、こんなものではなくまだまだ多いのである。
再度写真を眺め渡し、地球もまだ捨てたものではないと思えてきた。愛すべき人々がそれぞれにパラダイスをこしらえて暮らしている。その瞬間をつなげていくと、姿形は違っても、また風土というエコロジーは違っても、人間はほとんど変わらないのだということに気づく。実際に顔を付き合わせてみて、言葉が通じないのが不思議に感じられる時が数えきれないほどあった。本書は私の人間讃歌であり、地球讃歌なのである。今後も私は広い地球の蟻として歩きつづけるだろう。
裔藤氏の変わらぬ熱意に、また「パンプキン」編集部、岡日出満氏の誠意に、荒川じんぺい氏の鮮かな手さばきに、蟻からの感謝の気持ちを伝えたい。
「一瞬のパラダイス」より
ビクトリア湖の夕映え
爆弾の料理
アリゾナの売り地
ミコノス島のペリカン
マサイ族とサファリラリー
ケープメイ
北京の朝のキャベツ
マルセイユの苦悩
空に絵を画く
バリ島の踊り子
慶東女
捕われた猪八戒(ちょはっかい)
世界一美しい湖
ミラノの女
貨車の家
フラミンゴの湖
怒る花屋
イカとおばさん(アズマ)
ヘルシンキの野菜売り
モアイの涙
ニューヨークの歩道
北極の夜明け
オレンジ娘
モスクワ大学の夏
安息日(ドミニカ)のカリブ海
イルクーツクの近道
パガン五千坊
パリで恐ろしいもの
晩秋のヘルシンキ
水とミス・チェンマイ
カリブの美少年
樹の下の教室
ハバナの夕涼み
アラスカの痩我慢
ナイロビのインパラ
黄金の砂漠
泉州のジャズダンス
シベリアの輝き
鳩の海
ナッツ・ベリー・ファーム
遊牧民の花嫁
晩秋のマウリ
イスラム戦士
家族の肖像
原始の森
メキシコのマリリン
祝福の虹
1991年12月15日初版第一発行
発行所:鈴木出版株式会社
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